ジャニーズ性加害問題当事者の会のメンバーとは?

今回のジャニーズ性加害問題について、被害者として名乗りをあげている元ジャニーズJr.の一部のメンバーで立ち上げられた、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」という団体。

続々とそのメンバーの数は増えているようである。

 

「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーについて見てみる。

 

1、平本淳也(代表)

まず、代表である平本淳也氏は1966年生まれ。

13歳の時にジャニーズ事務所に入所。18歳までジャニーズの合宿所に出入りしていた。

田原俊彦近藤真彦、シブがき隊、少年隊らのバックダンサーを務めていたという。

そして、1986年にジャニーズ事務所退所後に、なんと「新・光GENJI」というジャニーズにあやかった名前でCDやビデオをリリースしていたという。

 また、ジャニーズのおっかけ本「ジャニーズおっかけマップ」を出版したりと、元ジャニーズJr.の肩書きを使ったビジネスを多数行っていたようだ。

 

この「おっかけマップ」を出版した1996年以前から、ジャニーズに関する暴露本を複数出版していたようだ。

そして、彼は過去に「平本淳也の「オレ様がスーパーカルチャースタァだ!!」V3」という、自身のビジネス関連のブログを書いていたようで(現在は削除されている)、

その中で、ジャニー氏の誕生日を祝う投稿を行っていたようだ。

また、自身の弟をジャニーズに入所させているという。

 

ジャニー喜多川氏が亡くなった際には、ジャニー氏の葬儀に参加し、自撮り写真付きで投稿を上げていたという。

また、彼は2023年3月に放送されたイギリスBBCの報道番組の取材を受けているが、その際に、自身は「性被害に遭っていない」と発言しているという。

彼の過去の言動と現在の矛盾により、世間では平本氏に対する疑問の声が上がっているようだ。

また、「財団を作って毎年売上の3%を入れてくれれば」というような発言との発言について、疑問視する声が上がっているようだ。

2、石丸志門(副代表)

副代表の石丸志門氏。1967年生まれで平本氏と近い世代。

現在は、うつ病生活保護を受けているという。

かつては自身のブログ「ジャニ悪」の中で、ジャニーズ事務所への感謝や賛美をしていたという。

ジャニー氏の葬儀に参加した際には、「光栄だ、感慨深い」と記載していたという。

 

今回の件は起こってからのブログでは、「生涯にわたって中流一般家庭並みの金銭保証、最新精神治療の提供がほしい」や、「車も所持できないので、せめてFITくらいは買える生活をしたい」という発言をしているとのこと。

彼も過去の言動と現在の言動が矛盾している点があり、疑問の声が上がっているようだ。

3、志賀泰伸

1968年生まれで、ジャニーズグループ「忍者」の元メンバーである。

1990年に忍者としてCDデビューしたようだが、CDデビュー以前から、事務所、メンバー、ファンなど全てに内緒で、9歳年上の女性と入籍していたという。

その妻が1994年に妊娠したのを機に、志賀は事務所の副社長・メリー喜多川に事情を正直に打ち明けたという。

しかし、その1ヶ月後の同年夏にメリーから事務所に呼び出され、「もう忍者のメンバーじゃなくていいから。ジャニーズとの契約はこれで解除します」と告げられ、一方的に解雇されたという。

なお、妻は男児を出産したが、後に離婚しているという。

週刊文春』(2023年6月1日号)にて、ジャニー喜多川から肛門性交まで強いられる程、30~40回に渡って性的被害に遭っていたと述べている。

4、 中村一

1987年生まれ。

2001年にジャニーズに入所し、同期はNEWSの小山慶一郎Kis-My-Ft2横尾渉、Hey!Say!JUMPの伊野尾慧だという。

ジャニーズJr.としての活動期間は2年程度とされる。

5、二本樹顕理

1983年生まれ。中学生時にジャニーズ事務所入り。

ジャニーズJr.時代は嵐の二宮和也相葉雅紀や、生田斗真らと同世代だったようだ。

ジャニーズ退所後の16歳に渡米し、アメリカのロックバンドでギタリストをしていたようだ。

6、ハヤシ(仮名)

ハヤシ氏であるが、過去に平本氏と出版した暴露本に本名を書いているらしく、本名は「小林直行」別芸名「赤木奈緒」氏とされる。

小林直行氏は1972年生まれ。

1988年にジャニーズ事務所に入所。

同期生にはTOKIOの国文太一や元V6の坂本昌行

ジャニーズ退所後は「赤木奈緒」という名前で平本氏らと活動していたようである。

7、イズミ(仮名)

イズミ氏は中1の頃にジャニーズ事務所に入所したようだ。

光GENJI大沢樹生内海光司らと世代が近いよう。

8、大島幸広

1985年生まれ。1988年、中学2年生の頃に入所。

ジャニーズ事務所を退所した山下智久と仲が良かったそう。

退所した2000年までの2年間で約200回の被害に遭ったそうで、辛抱すればデビューできるかもしれないという思いで我慢し続けたと語っている。

9、長渡康二

1996年、小学校6年性の頃に入所。小学校6年性時に被害に遭ったようだ。

その後、ジャニー氏からの行為を拒むようになり、高校2年性の頃に退所。

長渡氏も平本氏らとジャニー氏の葬儀に参加し、ジャニーズの魅力を語るトークライブにも参加していたという。

10、飯田恭平

1987年生まれ。元Kis-My-Ft2のメンバーであり、

ジャニーズJr.時代は、北山宏光藤ヶ谷太輔横尾渉との4人で、Kis-My-Ftとして活動し、その後の2005年に「A.B.C.Jr」の二階堂高嗣、千賀健永、玉森裕太宮田俊哉とともにKis-My-Ft2としてグループに加わった。 

しかし、そのわずか1年後の2006年に突如の脱退が発表されたという。

13歳のころから実に5年間、数十回以上被害を受けたと語っている。

11、岡田幸治

少年隊のバックダンサーなどをしていたようで、現在50代後半くらいと推測される。

16歳でジャニーズJr.入り。入所後すこしして被害に遭ったという。

12、小関友弥

1984年生まれ。

2003年にジャニーズ入所し2004年に退所している。

告発準備中とのこと。

13、木村伸一

1976年生まれ。

1995年、高校3年時に入所。元V6のメンバー候補だったといい、デビュー会見の日時まで知らされていたという。

そんな中、ジャニーズ喜多川から肛門性交を強要され、その報酬として5万円を渡されたが、それ以降ジャニーからの誘いを拒み、合宿所に行かなくなったという。

その結果、ジャニー氏から嫌われ、V6のメンバー候補からも外され木村氏抜きでデビュー会見が行われたという。

 居場所を失った木村氏は、1995年9月に退所した。

退所後も、決まった芸能の仕事がジャニーズ事務所からの圧力によってキャンセルになることが続いたため、身元を隠すためにやむなく改名した。しかしピンク映画の仕事しか来ない状況に限界を感じ、21歳で芸能界を引退したという。

現在は整骨院の院長をしているようだ。

 

 

 

今後も、動向も見ていきたい。